やめた方がいい「苦しい自己満足」について

こんにちは、かなみ です。^^

プライベートの出来事をもとに、サラッと読めちゃう3分ブログ。
電車の中、カフェでの待ち合わせ中など、合間時間にぜひ一読ください

目次

自己満足ってどう思う?

みなさん、「これって自己満足だなぁ・・」と思うことありますか?
また「自己満足」と感じたとき、その気持ちを肯定的にとらえますか?
それとも否定的にとらえますか?

ちなみにわたしは、自己満足、たくさんあります!笑
そして基本的に「自己満足は大肯定」です。
なぜなら、自分で自分を満足させることができるなんて、一番ステキじゃないですか?

ただ、自己満足も色んな種類があります。
今回はその中でも、やめた方がいい「苦しい自己満足」について。

苦しくなる自己満足

自己満足が苦しいなんて、どういうこと?って感じですよね。
でも、弱虫メンタルさんはもしかしたら苦しい自己満足に陥っているかもしれません。

今からする内容は、ちょうど1年ほど前まで私がずーと感じていたことです。

好きでやっていることなのに、不安が湧いてくる

根っからの関西人気質だからなのか、わたしは会話の中でみんながクスッと笑う瞬間がとても好きです。

だから、オフラインでもオンラインでも、
会話ベースだろうがテキストベースだろうが、
いたるところに「笑い」の要素を放り込んでは、みんなが笑うと “したり顔” をしています。

しかし一方で、
皆が笑顔になり、自分が会話の中心になると急に不安な気持ちにもなるのです。

  • ちょっと、でしゃばりすぎたかな・・?
  • 他の人も会話の中心になれるよう、この席を譲らなきゃ。
  • 自分の話題は早く終わらせよう・・。

結構な頻度でそのように思っていました。

でも、それって苦しい自己満足だったな・・と今になって思います。

なぜなら、
誰かにでしゃばるなと言われたわけでもないし。
会話の中心を譲れと言われたわけでもないし。

勝手に負い目を感じて、勝手に自分を抑えているだけ。
そして、
勝手に「気を遣っている」と思い込んで、勝手に「人と関わることはしんどい」までに発展。

自分は気遣いができる(と思いたい)という自己満足だったのかもしれない。

でも、それって本当に私が心からしたいことなのかな?
___否。

どう考えても「嫌われたくない、他人にどう思われているか心配」という気持ちからの勝手な思い込み。
むしろ、思い込みも飛び越えて、周囲の人はとばっちりである。笑

完全に、自分が苦しいだけの自己満足。
自己満足が苦しいってどゆことやねん笑。って感じです。

苦しい自己満足=他人軸の自己満足

自己満足はその名前の通り「自分を満足な状態」にさせることです。
(「自分がすでに満足な状態」とも捉えるこができますね)

それは例えば・・・
周囲に何を言われようと、好きなマンガを集めて揃っている景色を眺めるのが好きとか。
きれいになっていく自分にテンションが上がって、美容代には少し多くのお金をかけているとか。
たぶん他の人はよく分からないだろうけど、この角度で撮ったらちょっと横顔が素敵な自分映えする写真とか。

何でもいいのですが、とにかく自分が満足な状態のことで他の人は関係ありません

しかし、
苦しい自己満足は、基本的に軸が「他人」であることが多いです。

本当は違うけど、誰かのためにこうしよう。
 (自分は、誰かを気遣っているという自己満足。誰のためにもなっていない。)
自分の好きを押し殺して、相手の好きに合わせる
 (自分を抑えてまで、相手を気遣っているという自己満足。相手のためになっていない。)
なんかしっくりこないけど、相手はスゴイ人だから、くっついておこう
 (違和感を感じるけど、損得勘定を優先してしんどいだけ。)

誰かと引き換えに、自分を抑えてしまう。
これが、苦しい自己満足、つまり他人軸の自己満足です。

自分軸の自己満足に集中した結果・・

他人を気遣うのがダメかというと、そういうことではありません。
ただ、本来の気遣いや思いやりって、不安になったり苦しくなったりしないと思うんです。

なぜなら、やりたい軸は他人ではなく、自分だから。
本当に相手のことを想った気遣いは、きっとしんどくないのです。

だって自分がやりたいこと、自分がしてもらったら嬉しいと思うことだから。

だから、わたしは自分が苦しくなる自己満足はやめました。

合わなくたって、悪くない

苦しい自己満足をやめたことで、2つの変化が訪れました。

1つ目。
自分の自由に表現できるから、確実に人と関わることが楽しくなり、ストレスも減った。

今まで抑えていたものを、素直に表現できることは本当に素晴らしい。
それに、自己表現をできることで自己肯定感UP、表現力UP。(個人比較だけど笑)
さらには、自己表現が自由にできるからこそ、相手の表現(相手の価値観)もより柔軟に受け入れられるようになりました。

2つ目。
自分のことを好きでいてくれる人が周りに集まるようになって、とても幸せになった。

忖度なく表現するようになり、好きな人だけが周りに集まるようになりました。
たぶん、裏を返せば合わない人は離れていったのでしょう。
でも別にどちらが悪いとかではなく、お互いの波長が合わないから仕方がないのです。

だって、
カジュアルなファッションが好きな人もいれば、
ガーリーが好きだったり、
ボーイッシュが好きだったり。
いろんな好みがある、それと同じ。

なんだったら、年齢や価値観が変わったら、服装の好みも変わる。
いま、離れている人たちともまた交わるかもしれません。
それは、今一緒にいる人たちも同じ。

だから余計に、今一緒にいてくれる人たちと、今を全力で楽しもうと思いました。

大切な時間を誰と過ごすか?人生はあまり長くない。

それでも、まだ周囲が気になってしまうあなたへ。
スヌーピーの有名な言葉を贈ります。

「I don’t have time to worry about who doesn’t like me.  
 I’m too busy loving the people who love me.」

『僕のことを好きじゃない誰かのためにもやもやする時間なんてないよ。  
 僕を大好きでいてくれる人たちを大切にするので忙しいからね。』

PEANUTSコミック

そのままのあなたのことを大好きな人はきっといる。
もう少しだけ自由に表現すればいいと思う。

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